第一章 博物館のイメージ 博物館とは何か
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第一節 イメージの中の博物館

日本博物館イメージ

 博物館とは何かを問う前に、一般的に人々がどのようなイメージを博物館に対して抱いているのかを、いくつかの引用から伺ってみたい。
一般の人が博物館に対して抱いているイメージは、特に日本の場合どうやらあまり芳しくないようである。たとえば「重々しい、暗い、閉鎖的、古い、疲れる等」のイメージがある。これは、現・神奈川県立歴史博物館(注四)が、昭和六十二(一九八七)年に改修・整備のために行ったアンケート調査の結果、報告されたものである。これら博物館に対するどちらかといえばマイナスのイメージは、何も神奈川県立歴史博物館にのみ当てはまるイメージではない。日本における博物館イメージそのものを代表しているかのようである。
日本の博物館に対する人々の意見はどうやら厳しい。基本的に「楽しくない場所」のイメージが付きまとっているようである。近年、博物館は再びブームになりつつあるが、その一方で、経営不振や建物の老朽化にともなう閉館も目立っている。一時、博物館はデートスポッととしてもてはやされていたが(そして現在もデートスポッととしての博物館はそれなりに残っている)、これはブランド商品の流行と似た現象として、名画のブランドに人が集まってくるという図式が垣間見え、また美術館でデートすることが一つのおしゃれな流行としてもてはやされているように感じられるのである。そこには博物館とは何かといった根本はどこかへ行ってしまい、ただ名画があるから、ただ有名な企画展を催しているからといった集客行為にのみ走っているように見受けられる。つまり、博物館は「重々しい、暗い、閉鎖的、古い、疲れる等」のイメージとともに、まだまだ「特別」であり、「日常的」な場所ではなく、その場限り的な「切り取られた」空間としてイメージされているのではないだろうか。(注五)

旅先の博物館イメージ
一方で、「旅先で美術館に立ち寄る人は多い」という意見には賛成したい。国内に住んでいるときは滅多に訪れない、もしくはまったく縁のない場所であった博物館が、にわかに旅先ではクローズアップされ、必ずと言っていいほど海外旅行をした人々はその国の博物館に立ち寄ってくる。

  旅先で美術館に立ち寄る人は多い。
  さまざまな美術品のコレクションを前に、圧倒されたり退屈したりしながら、
  旅先での貴重な時間を費やしている。特に美術に興味のない人でも、
  旅先で美術館に立ち寄ることにはほとんど違和感を覚えない。(注六)

 この書き出しから始まる『美術館ものがたり その歴史とドラマ』は、つづく文章で二つの疑問を提示している。すなわち、

  なぜ、こうして、人々は、美術館に集まるのだろうか?
  そして、そもそもなぜ、人は美術品を集めるのだろうか?

 この二つの「素朴な疑問」に答える形式で、美術館の「内」と「外」の両面から美術館を紹介しているのがこの『美術館ものがたり その歴史とドラマ』の内容であるが、これらの疑問は博物館とは何かという問いを明らかにするとき、非常に助けになる疑問ではないだろうか。特に前者のなぜ人は博物館に集まるのかという問いかけは、博物館とはどういったものであるかというヒントになりうるだろう。そしてこの本の共著者である福のり子さんが、アメリカの博物館を例にあげ次のように述べている。

まず作品があり、その保管場所として美術館を建てたのがヨーロッパ型の美術館。それにくらべて、美術館の歴史も伝統もそして貴重な美術品も存在しなかったアメリカでは、美術館を建てるのは「物」のためではなく、「人」のためだった。つまり、大衆を教育し、文化度の高い国と国民をつくりあげるために、だれでもが気軽に行ける美術館を、民主的な教育の場として認識してきたのである。美術館教育が世界で一番発達している国がアメリカであるというのも、こういう歴史的背景をみれば納得できる。鑑賞者としての人を育てることは、いみじくも、芸術を育てることにつながることを彼らは認識していた。だからこそ、文化不毛といわれたこの国は、一世紀ほどの間に、世界の文化をリードする国へと成長したのだ。

  つまり、ここから読み取ることができるのは、なぜ海外では美術館に人が集まるのかという理由のひとつに、鑑賞者を育てるという点があげることができる。すなわち海外の博物館来館者は幼いときから美術館・博物館に慣れ親しむ環境によって、自然と博物館に集うことが日常生活の中に組み込まれているとも考えられるだろう。そんな日常に博物館が組み込まれた環境と雰囲気に、海外旅行者が影響を受けるとしてもおかしくはない。旅行者にとって海外の博物館はただ旅行プランに組み込まれた場所としてだけではなく、こうした海外での博物館の雰囲気と扱われ方に自然と肩の力をぬくことができ、各美術文化に触れることで訪れた国の理解を助ける存在としても欠かすことのできない訪問先であるのかもしれない。
 

イメージの比較
 博物館とは何か、との問いかけに対し、多くの書物ではいくつかの決まった形から話をはじめようとする傾向が見える。一つは(注七)博物館法であり、もう一つは博物館に対するイメージ、そして実際に博物館に訪れたときの体験を元にした、およそ三つの話題に集約されるのではないかと推測する。特に、博物館に対するイメージと実際の博物館体験は切っても切り離せない話題らしく、そこで語られる体験が楽しければ、人は博物館に対して好意的な印象を抱くことは、何も博物館に限ったことではないだろう。しかし、この体験と印象(イメージ)が結びついているという点については、博物館を考えるうえで非常に注意しなければならない問題であると考える。そこで次は博物館体験とイメージが結びついた例を紹介したい。

私は(注八)、日頃、美術館や博物館には、よほどの用事でもない限り、出かけて行かない。その最大の理由は、子供のときから今に至るまで、首都圏の美術館や博物館へ行って、「ああ面白かった」とか、「来てよかった」と思ったことが一度もないからだ。私の個人的な経験からすると、ほとんど毎回、「何でこんなに不便なところにあるの?」「えっ! 展示物はこれだけ?」「どうして、こんなに混んでいるの?」「どうして、こんな高い入場料を払わなくちゃならないの?」といった具合で、はっきり言って、嫌な印象をもったことしかないのである。

 非常に正直な意見が忌憚なく記述されていることに読む側はかえって驚いてしまうかもしれない。しかし、この文章から読み取れるのは、いくつかの具体的な問題点である。つまり、不満として鍵括弧つきで発せられている言葉は、言い換えれば博物館がどこにあるか、そしてどのような交通手段を用いていくことができるのかという場所性、展示内容とその運営方法や入場料といった博物館の性格といった、博物館を見るときに欠かせないポイントばかりである。そしてこの不満が実は日本の博物館に対して当てはまると明言しているのであるから、すべての博物館に対していっているわけではないことを、読み手はしっかりと認識しなくてはならないのである。

ここで誤解を招かないために少し説明しておかなければならないが、確かに私は、日頃、博物館や美術館へ行かないと断言できるが、これは、日本にいるときに限ったことである。

 先ほど例に出した発言と一致するが、ここでは更に一歩深く踏み込んだ発言となっている。つまり、この作者は日本の博物館はつまらないが、海外の博物館はそうではないと言っているのである。

そこで、なぜ、海外へ行くと、私はこれほどまでに美術館や博物館を頻繁に訪れるのかということになるわけだが、それは、こうした施設が「こんな街の真中にあっていいの?」というほど立地条件のよい、便利な場所にあり、一日では到底見切れないほどの展示物を擁しており、さらには、きわめて入場料が安かったり、まったく無料であったりするからだ。

 ここまで三つの書物から博物館に対するイメージについての例をあげてみたが、どうやらはっきりしたのは、日本の博物館は「面白くない」または「つまらないといったイメージがあり、逆に海外の博物館は「面白い」もしくは「楽しい」場所としてのイメージが定着しているということである。これは一体どういうことなのだろうか。


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文章作成2002年7月8日
HP作成2003年1月6日 
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