第4章 はたして博物館入口は「通過儀礼」装置と呼ぶことができるのか?
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第三節 結論、「はたして博物館入口は『通過儀礼』」装置と呼ぶことができるのか」

 博物館に入る行為が「通過儀礼」の移行行為にあたり、入口こそが具体的通過として通過儀礼の図式に当てはまるということは、前節でまとめたことである。しかしこれではまだ博物館の入口そのものを「通過儀礼」であるといったことにはならない。なぜなら、通過儀礼とは一連の移行行為を行うとともに、何らかの儀礼をその媒体として行っていることになり、「各種の社会的状況のあいだの通過と具体的通過、例えば村や家へ入ること、ある部屋から別の部屋へ移ること、道や広場のあいだの通過などを同一視することができる」とはいえ、まだ博物館に入るという具体的通過だけの指摘であり、「各種の社会的状況のあいだの通過」といわれる博物館に入る行為自体の目的と意味については取り扱っていないことになる。
 博物館に入るということは一体どういうことであるか。それは第一章から第三章までに扱ってきた「博物館とは何か」、そして「入口とは何か」からすでに応えを知っていることになる。第一章、第二章では、博物館の持つイメージから博物館とは何かと見てきた。そしてその結論として、博物館は文化を背景にして作られ、文化そのものを示すハコであることが見えてきた。そして第三章では博物館の入口とはなにかという疑問に対し、文化である博物館が内包する展示空間への移行期であり準備段階でもある入口は、展示とは何かを問い直すことでまたその存在意義を明確にすることができたのである。展示とは何か、は翻って博物館とは何かにもつながり、文化としての博物館は「社会的物語」を語る展示によって、来館者自身の知的成長を促すきっかけをつくる場所としての役割を担っていることになるのである。
 この目的を達成するため、博物館の入口は博物館の中身である展示を体験するための準備、具体的には展示資料に対する配慮(触らない、写真をとらない、など)から博物館でのマナー、ルールまでを学習し、展示室体験をする資格と権利を有するのである。特に資格とは、有料の場合は特にチケットの購入がその資格取得の絶対条件となり(例外もある。年齢、所属、友の会会員等の例外処置や時間による無料化)、チケットの提示により展示入口の通過が可能になる。権利については、博物館の公共性から、すべての人が博物館に入る権利を有していることになるのである。
 博物館に入るための有資格条件としてのチケット購入といったが、このチケットそこが博物館における通過の儀礼に当たるだろう。つまりチケットの購入という金銭とチケットとの交換によって来館者は博物館という特殊空間への合体を意味するのである。つまりチケット購入とは単に資格取得だけではなく、入口における「合体儀礼」とも解釈が可能になるのである。
 一方で、無料の博物館に関してはどうなるのだろうか。アメリカでは世界的にも有名なスミソニアン博物館群があるが、この博物館はすべて無料である。この場合、博物館入口におけるチケット購入という「合体」の儀礼は行われないことになる。では、実際にスミソニアン博物館群とその他の無料入館が可能な博物館を見ていくと、まず目立つ通過儀礼としては国立ホロコースト記念博物館のセキュリティ・チ(注五四)ェックがある。そして次に大階段による領域区分はナショナル・ギャラリー本館、国立インディアン博物館、国立公文書館があり、公文書館はセキュリティ・チェックも行われている。また博物館に入ったところでのシンボル展示を見るという体験により博物館入館が意識されるのは、国立アメリカ歴史博物館、国立自然史博物館、国立航空宇宙博物館である。そしてそれ以外の博物館を見ていくと、前庭の存在(国立アーサー・M・サックラー美術館、国立アフリカ美術館、レンウィック・ギャラリー)や、建物の特徴としての入口の独立(ラッピリーセンター、ハーシュホーン美術館)などの空間的な特徴は挙げることができるかもしれない。これらは「移行」儀礼としての意味をもち、チケットの購入による儀礼とは関係なく必ず博物館の入口を通り、そして博物館内部空間である展示室へと具体的な移行により、博物館空間への合体を果たすことになる。
 その他、見るべき博物館入口機能として「インフォメーション」におけるパンフレットや館内案内図など博物館情報の入手や、入口付近に設置されている禁止事項などを示した立て札の存在、また博物館入口と展示の入口という二段構えの通過による移行が来館者を待ち受けているので(注五五)ある。
 博物館の入口における「通過儀礼」とは、まず具体的な通過における「移行儀礼」を示し、時に「合体儀礼」ということもできるが、この場合の合体は一時的なものである。博物館に入るためには一般社会すなわち日常からの「分離」を経た後、入口の通過による「移行」が行われ、最後に博物館内部に「合体」するという、通過儀礼の図式に当てはまる行為であることは、これまでに論じてきたとおりである。その儀礼が具体的にどのような体験としてみることができるのかはチケットの売買による博物館への合体儀礼が一番分かりやすい例であるだろう。しかし、それ以外にも来館者たちは博物館が示すさまざまな情報と行為によって、博物館空間へと組み込まれ、その空間体験を享受するための受け入れ態勢を整えるのが、博物館入口における通過儀礼の目的であるということができるだろう。
 はたして博物館の入口は「通過儀礼」装置と呼ぶことができるのか、というのが今回の論文における最大の問題であった。ここで結論付けるのであれば、博物館の入口を「通過儀礼」そのものであるというのには、やはりまだ断言するには及ばないのではないかと判断する。しかし、これを一つの装置として考えるのであるならば、博物館の入口はまさしく「通過儀礼」装置である。そしてもう一点付け加えるのであるならば、博物館とは文化であり、その入口に立つのであるならば、博物館入口とは、まさに文化の「通過儀礼」装置と呼ぶことができるだろう。


→第3節「」
文章作成2002年7月9日
HP作成2003年1月6日 
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