第三節 博物館のファサード 日本編
日本の博物館分類
次に見ていくのは日本の博物館である。すでにアメリカの博物館建築のファサード年表を取り扱っているので、日本の方はいくぶん説明を省かせてもらうが、しかし日本の博物館で注意していただきたい点がある。この比較はなるべくならば、著者が実際に自分の足で体験した博物館を例にして取り上げたいとは思っているが、しかし実際にはすべての館に足を運べたわけではない。何度かお断りはしているが、ここで用いる博物館資料に関しては、要覧や常設展示図録等から拝借した写真資料も含め、アメリカ同様に年表を製作した。
では日本の博物館建築を見ていく。(注二七)年表をまず見ていただきたいのだが、日本の博物館の歴史はアメリカよりも約五十年ほど(注二八)遅い。日本の最初の博物館、つまり東京国立博物館が上野に建てられる前、日本はアメリカのスミソニアン博物館を視察した後に博物館を作ったのである。
日本の博物館の歴史を見ていくと、その時期が先ず戦前と戦後にわかれ、そして戦後またおよそ八十年代を境に変化しているのがわかる。しかしそれがはたして建築にも現れているかどうかは年表を見れば一目瞭然ではないだろうか。計百以上の博物館の外観を集め、アメリカのときと同じように分類を試みた。しかし結果は見てのとおり、思うようには分類できなかったと言わざるを得ない。なぜこれほどにまで分類にてこずったかにはわけがある。
先ず明治期から昭和初期にかけての博物館は一応一つのまとまりと考えた。これはすでに建物云々と言うよりは、この時期の博物館数がそれほど多くなく、分類と言えば分類はできるが、それは戦後に始まる博物館建築とはまったく一線を駕してしまったために、あえて一塊のものとしてみた。昭和初期を除けば、戦時中は博物館の需要はあれど現実問題として建設不可能だったため、博物館の開館はめっきり姿を消してしまう。それが再び博物館建設が始まるのは、戦後も二十年を過ぎたあたりの一九七〇年代から徐々に増え始めるのである。
さて問題の博物館建築であるが、分類に苦慮したというのは見ていただければわかるかもしれないが、分類に困るほど目立った特徴が掴みにくいのである。基本形はどうやら博物館建築のハコと呼ばれる所以ともいえる正方形であり、この四角い形をベースにそれを組み合わせたり、時に幾何学的に他の図形を配置したりとバリエーションはあるものの基本的に四角い建物が目立つ。そしてアメリカのときも注目した作品としての博物館が、まったく別系統のように異質な建物として存在しているのである。
顔のない博物館
日本の博物館建築を一言で言い表すのであれば、まさにハコであり、そして正面性の喪失である。つまり、アメリカでは常に意識せずとも博物館の入口は建物の正面に配置され、また写真で撮影したときも、建物を撮れば自然と入口もついてきたのである。しかし、日本の博物館を移す際、非常に困るのがどの角度で博物館の建物をとればいいのかと言うことであった。実際に映そうとすると、どうしても全体が入らなかったりするのである。もちろん立地条件等によって撮影範囲は自ずと限定されてしまうのだが、これは逆に博物館資料である要覧や図録等からコピーした博物館の館全体図をみたとき納得がいった。年表を見てもらえばわかるかもしれないが、明らかに素人では撮る事の出来ない写真があるだろう。すなわち航空写真であったり、他の高層ビルから撮ったものである。
日本の博物館を見ていくと、建物の正面性の喪失以外にも建物の無名性と呼ぶ特徴があるように見受けられる。戦前の国立博物館をはじめとする博物館建築は、東京国立博物館(注二九)本館の帝冠様式をはじめ、アメリカで見てきた新古典様式を取り入れた建物が博物館に使用されている。また神奈川県立歴史(注三十)博物館のように、元は銀行の建物を使ったものであるが、これもまた新古典様式の建物であり、ドームや柱、そして階段が建物の正面に配置されていた。戦前の博物館は明らかに建物からその特徴を見出すことが出来る。しかし戦後に入ってから作られる博物館を見ていくと、あっという間に博物館はハコと化し、建物はその正面性を失うと同時に一体何の用途に用いられる建物であるのかを一見してわからない姿へと変えていった。
博物館の内容は博物館法に規定されているような機能を元とした教育普及活動であるが、建物を見る限りでいえば、戦後の博物館はまったくその意欲を失ってしまったかのように、博物館の建物は沈黙してしまっているようである。作品化された建物を除いてしまえば、博物館と呼ばれる建物には、そこが博物館であると教えてもらわなければわからないほど、建物の外観からはその用途を見極めることが困難である。またかといってすべてがバラバラに統一性に欠ける建築様式化といえばそうではなく、全体的に一貫した不明瞭さを特徴としてあげることが出来そうである。
ハコが先か、中味が先か
これは、日本における博物館の開館までの経緯が非常に重要なポイントではないかと考える。すなわち、日本博物館においてはよく「ハコモノ行政」と皮肉って言われることがあるが、まずとりあえず博物館を作る予算が付いたならば、中味は後回しにして建物である「ハコ」を先に作ってしまうと言うものである。その結果どうなるかと言えば、博物館は記念碑的な建築物と化し、実際にその建物を展示として使用する段になって、後から採用された学芸員から「使いにくい」という苦情が絶えないという代物と化す。つまり、作る側の主である行政、引いては納税者にとっては中味の変化に乏しく、十年たっても同じと言われてしまうような記念的なハコが出来上がってしまうわけである。
近年になってこれは非常によく指摘され、そして具体的な博物館運営上の問題としても取り上げられているが、実際にその理由が今回日本の博物館を集めていくうちに段々とはっきりしてきたように感じる。
アメリカで博物館を見て回った時に思ったのは、どこも博物館であることを非常に自然にアピールしていることである。一番単純な点でいえば、地図を片手に初めて訪れる街の中でも、博物館の発見が非常に容易であるということだ。もちろん博物館の立地条件も考慮しなければならないポイントではあるが、それを抜きに考えても、アメリカの博物館は街の中に馴染んでいながら、必ず己の存在をアピールしている。それは建物がもつ博物館性とも呼べるものではないだろうか。
日米両国において、元は別の建物として使用されていた建物を、博物館として再利用した例はある。例えばアメリカでは元は倉庫を利用したボストン子ども(注三一)博物館であったり、小学校の校舎をそのまま利用した首都子供博物館である。また日本では元は銀行の建物を利用した神奈川県立歴史博物館や、神戸市立博物館である。これらの例外は間違いなくハコである建物が先にあり、それをどのように博物館として利用していくかを考えていくものであるだろう。では、博物館として最初から計画された建物を日米両国で比較しながら見てみると、そこには一目瞭然な結果となった。
すなわち、アメリカの博物館はその建物を計画した当初から、どのような博物館であるか、また度尿な展示をつくり、そしてどのような目的をもって来館者とリレーションシップを気付いていくかを検討し、そして現在も常に改善と改良を重ねながら、試行錯誤をしつつ博物館をリアルタイムで運営していると言うことである。これは、博物館に対する両国の考え方の違いとも最終的には取れるが、今はその問題には触れないでおく。
次に日本の博物館を見ていくと、なんとのっぺらぼうであるかと言う気になってくる。感情的な物言いになってしまうのを承知で言えば、日本の博物館の建物だけを集めていくうちに、どんどんと「博物館」から遠ざかっていくような錯覚に陥った。まさに、日本にとって博物館とはなにか、という疑問にぶち当たってしまったのである。
この疑問が、博物館の内容や方針をはっきりと決めないままに、建物だけを先に記念碑的に作ってしまったという日本博物館の事情を知るにつれて、ますます疑いが深まっていった。もはやイメージだけを論議している場合ではない。日本人は、はたして博物館をどう思っているのだろう。
博物館運営
建物が先か中身が先かなどは、博物館を作る上でたいした問題ではないと思われる方がもしかしているかもしれない。しかし、人間の顔がその人の性格や人生そのものを映し出す鏡であるといわれるのとおなじで、建物もその中身を反映しているという「博物館の顔」論は決して的外れな論議ではないと考える。事実、日本の博物館とアメリカの博物館の建物の外観を並べただけで、非常に大きな差が明らかになった。
これはアメリカの博物館建築には、明らかに博物館性があると主張するのではない。アメリカの博物館建築についてはまだその運営の方法や、建築と博物館のテーマやコンセプトとの関連については知らないことが多く、まだ断言するまでは至っていないと判断している。この件については、今後の研究課題にしていきたいとも考えているが、今はそれよりも日本の博物館についてである。アメリカの博物館建築には少なくとも、それぞれの博物館のコンセプトやテーマなどが事前にきちんと話し合われ、そして計画の中にしっかりと組み込まれているというのは、博物館だけでなくどんな施設を作るにしても当然の話である。しかし、日本ではその当然のことすらできていないと言うのが、今の日本の博物館に対する見方なのである。
日本の博物館建築を見ていくと、その多くが一体何の目的で作られたのか外観からでははっきりしない建物のように見受けられる。これが、自然公園といった周囲の環境とリンクされた施設として作られたのであれば、人はその場所によって博物館であることを判断することが出来るだろう。実際、多くの博物館(特に地方では)公園の中に博物館施設が含まれていることが多い。つまり博物館が単独で存在するのではなく、その公園とともにもしくはどちらかといえば公園の付属物的に博物館の設置が検討される傾向があるようである。これは特に何かしらの遺跡公園と連動して運営されることが多い。つまり発掘作業によって出土した遺跡物を置く場所として博物館が設けられているのである。この場合、重要なのは博物館ではなく、博物館が作られた場所の方が重要な意味を持っており、日本の博物館を考える場合、その博物館が出来た場所を見ていくのも重要な視点であると考える。
例をあげればきりがないが、代表的な例は上野にある各国立等の博物館施設や、大阪万博の跡地にできた国立民族学博物館、身近な例では神奈川県海老名市にある国分寺・国分尼寺の跡地横にある海老名市温故館などが、立地条件が優先的に考えられた博物館施設の例であろう。
博物館が作られる際に、その立地条件というのは確かに大きな問題である。博物館そのものが有する莫大なコレクションを収集・保管できる大きさの場所と建物が必要であるし、立てた後の運営費(管理費等の諸経費)も考えなければならない。博物館という施設運営には莫大な経費がかかることは当然のことであるが、その当然の事実をわかった上でどう賄っていくかが問題となる。しかし実際のことろでは赤字運営のところがほとんどのようであるし、国立の博物館が独立行政となった経緯も予算運営の問題が大きく絡んでいた。今では国公立の博物館は削られていく予算内でどう運営費を削っていくかが目下の問題となっている。
日本の博物館
博物館の管理運営については今後の重大な課題として残すとともに、博物館を見ていく上ではとても重要な柱であるということがわかった。日本の博物館の建物を見た際に感じた建物の無名性や正面性の喪失と言った問題は、一つには博物館に対する考えの希薄さといった問題が浮き彫りにされてきたと思われる。ただし、ここで注意したいのは単純に日本の博物館は考え方がはっきりしなく、それが博物館の建物にもしっかりと現れていると断定してしまうと、別の視点を失ってしまうことになるという点である。
どういうことかといえば、日本の博物館にはなぜこれほどまでに無表情の建物(一部例外は除く)を多く選んできたかという点である。日本の博物館がその外観からでは博物館とはわかりにくい形を選び、またアメリカのように他の施設との類似性すら見出すことがなかなか叶わないと言う建物選びをさせた訳をこれから考えてみたい。
アメリカの博物館を見ていて感じたことは、他の博物館関連施設とのつながりが建物からでも伺えるのではないかと言うことである。つまり学校をはじめとする教育関連施設とともに、ホテルやデパートと言った商業スペース、そしてアミューズメント・パーク等の余暇施設とのつながりと類似性が、博物館建築から見出すことが出来た。つまり、施設建築上からいえば、博物館は右記の関連施設等から諸要素を取り込みつつ、博物館独自の特徴を備えていることになる。そしてその特徴とは何かと言えば、教会ではないかと考えるのである。
教会と博物館の関係は古くからあり、教会建築をはじめ宗教絵画など美術と宗教の関係は非常に密接である。ここで宗教と美術の関係を扱った上で、博物館と教会の類似性を論じることはそこまで詳しく調べていないので出来ないが、博物館における展示資料の扱い方を見ていく上で感じたこととして簡単に述べて見たい。
アメリカの博物館を教会と例えたのは、何も宗教的な意味合いからではない。そして教会というのもイメージ上の教会であるので、厳密性のない発言になってしまうがあえて勇気をもって発言していきたい。アメリカの博物館を「教会」と例えるのは、アメリカにおいて博物館というのが、実際に博物館に足を運び、そして人類の歴史的な物語を展示する様々な展示資料を体験していく行為が、教会の礼拝堂にて神に祈りを捧げるのではなく、神との対話、すなわち自分との対話を可能とする空間性と非常に類似しているように感じたからである。
つまり、アメリカの博物館で体験した展示空間とは、展示ひとつひとつが社会的な物語を構成する要素であり、その展示資料がコレクションとして集まったとき、その展示室は大きな社会的物語をつむぎ出す空間と変化する。
この展示に必要なものを「社会的な物語(Social
Story)」と呼んだのは、スミソニアン博物館協会に所属するアメリカ歴史博物館のキュレーターであるフィン博士(Dr.Finn)である。二〇〇〇年の海外研修の際にお会いすることが出来たアメリカのキュレーターは三人いるが、その中でも彼はまだ博物館とは何かと言うことを知らなかった私に、博物館にとって基本的であり、そしてまた重要なことを教えてくれた。それは、アメリカの博物館展示の歴史であり、その展示方法の変遷だった。アメリカ歴史博物館は開館当初の一九六〇年代から七〇年代の基本的にモノだけを置いた展示から少しずつ展示方法に変化をもち、九〇年代に入るとただ資料を並べて展示することから、それぞれの展示に科学技術の進歩と言った社会とのつながりをもつ物語性を生かした展示へと変っていった経緯を実際に展示室を案内しつつ教えてくれた。
これは、ただ年代順に展示品を並べた展示とは大きく違い、展示の主体はあくまでも人と社会の変化とその物語であり、いかに見る人にそれを伝えていくべきかを考えた展示方法であった。これはよく「モノ」から「コト」ヘといった言葉で言われることであるが、しかしこの「コト」への変化と「社会的な物語性」といった場合では、どちらが具体的な理解へと繋がる言葉だろうか。「コト」展示への変化は、博物館がまだ「博物館行き」という言葉で揶揄されてきたころからの反省を含んだものではあるが、実際に日本における展示として見ていった場合、「コト」展示は一方的な押し付けの、いわゆる教科書的な物語を綴った展示として「つまらない」展示の筆頭に上がってしまっているようである。
話が大分それてしまったが、博物館の「教会」性の話に戻ってみたい。アメリカの博物館が物語としての展示との対話を生む博物館体験を目標として、その目標に向かい様々な工夫を凝らしているのに対して、日本の博物館を表現するならば「宝物庫」である。なぜ「宝物庫」であるかといえば、日本の博物館を写真でならべてみていくと、どうしてもハコというイメージが離れない。それは大事なものを大切に保管するための施設であり、展示を一般公開するという行為は、資料の保存と言う点では非常にマイナスな行為であると繰り返す日本の博物館関係者の発言等を聞いて感じたことである。
日本の博物館史をたどると、どうしても行き着く先が正倉院なのである。つまり、博物館資料はあくまで調査・研究の対象であり、展示はその合間に行う一般公衆に向けたサービスであるかのような印象がどうしても拭えない。博物館資料の保存と言う観点から見れば、確かに展示という行為は、資料をいためる以外のなにものでもないだろう。しかし、では博物館は一体なんためにあり、そして誰のためのものであるかという認識が見事に抜け落ちているのではないかと疑いを持ちたくなるような発言が、日本の博物館をとりまく中で目立つのではないだろうか。
日本の博物館では、展示資料の保存管理がまず第一の優先事項になっている印象をうける。しかしそこで考えなければならないのは、一体何のために資料を保存するのかという点である。博物館は誰のためのものか、それは一般公衆(パブリック)のためのものである。この点は第一章で述べたことでもあるが、しかし日本の博物館は非常にずれた認識を持っているのではないかと感じられてならない。それは博物館の存在意義に関わる問題でもあるが、博物館にいるはずの人たちですら、博物館とはなんであるかを実は考えたことがないのではないかと疑念が残る。博物館は一般公衆のためのものであり、そして未来の人のためのものであるはずである。研究者が研究資料として扱うためだけの資料ではないはずであるし、そもそも博物館は誰のものであるのだろう。
この疑問は日本の博物館を見ていくとますます強くなる。博物館の外観だけで判断するのは危険であるが、しかし何のための建物か一見してわからない外観に、建物の正面性の喪失、そしてこれは場所性にも関わるが、広い前庭空間を持ち、公園の中や建物に入るのに奥まった場所にある入口など、来る人を威圧し拒絶しているかのような博物館は、まさに多くの人に見せることを前提とはしていない、資料の保管により重点をおいたまさに「宝物庫」という印象が拭えない。そして、近年は大分改善されてきたとはいえ、まだまだ博物館は特別な宝物を見る場所といったイメージの抜け出せない日本の博物館では、展示をみて「すごい」と感激する記念碑的な「宝物庫」としてのイメージが付きまとうのである。
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