第二節 博物館のファサード アメリカ編
アメリカ博物館ファサード年表
資料六を見ていただきたい。これは、二〇〇二年三月から四月にかけて行った、学芸員課程実習二における企画展示『博物館の入口―文化の通過儀礼装置―』で使用した展示を元に製作した、博物館の外観年表である。
左上から右下へと順に時代は下がっていき、十九世紀中ごろから二〇〇〇年までの間に作られ開館した博物館を、上から順に博物館のデザイン的に似たものを集め並べたものである。
例外はあるが、時代の変化とともに博物館に適用される建物のデザインが変っていっているのが分かる。これはもちろん博物館だけに当てはまると考えるよりも、建築すべての潮流であると考えた方が自然である。ただし、博物館建築が、時代が下るごとに建築の変化と非常に緊密な関係となるのはこの年表を見ても分かることである。
年表の始まりは(注十八)スミソニアン博物館協会の本部でもある通称「キャッスル」である。このスミソニアン博物館群は、首都ワシントンDCのモールと呼ばれる国会議事堂とホワイトハウスを繋ぐ緑の芝が広がる公園を囲むように並ぶ、世界最大級の(注十九)博物館群である。合わせて十六の博物館施設とアーカイブスを持ち、ワシントンDCとニューヨークにその施設を配置している。アメリカの文化の象徴とも呼ばれ、政治機能と博物館のみが備わったワシントンDCの魅力の要でもある。
このキャッスルは一八五五年に建てられたものであるが、博物館のファサード年表は時代が下るにつれて、この塔をもった赤レンガつくりの塔のあるゴシック様式を模した城から、大きなドームと柱を擁するギリシア神殿を模した新古典様式へと以降する。そして一九五九年のグッゲンハイム美術館の登場とともに、正に近代建築の幕開けを示すターニングポイントとなる、まるで彫刻作品のような建築デザインが博物館に起用されるようになる。そして建築技術の発達とともに、鉄筋コンクリートは建物の全体を覆うことをやめ、まるで光を求めるかのようにガラスを多用した建物が増えてくるのである。
城から神殿へ
アメリカのすべての博物館を網羅したわけでもなく、たった四つの都市における有名な博物館を見て回ったわけであるが、それがこのようにまるで建築の歴史の縮図を示したように、その流れを示すことになるとは、博物館を訪れた当初考えもしなかった。もちろん、この年表は完璧なものではない。しかし、約四十館の示すアメリカの博物館から、少なくとも博物館建築の歴史の一端を見ることはできるのではないだろうか。様々な問題にはとりあえず目をつぶり、この年表から読み取れることを具体的な事例とともに見ていきたい。
スミソニアン・キャッスルに戻ると、この博物館施設は開館当初非常に不評であったという記録が残っている。周りにはまだホワイトハウスや合衆国議事堂といった白亜の建物がたつ周辺環境の中に、ぽつんと突然立てられた赤レンガのスミソニアン博物館は、趣味が悪いと人の評判は散々であったようである。しかし同時代に少なくとも他に二つの博物館建築が同じような赤レンガのデザインで立てられた経緯を見ると、その時代に少なくとも博物館やその他の建物に適用されたデザインであったようである。
次に二段目三段目になると、大きな柱を正面に用いたデザインで、他に三角破風やドームを屋根にあしらい、また巨大な階段を上らなければ入れないような、ギリシア神殿風の新古典主義が博物館他、図書館や裁判所、議事堂、駅、銀行といった建物に使われるようになった。特にアメリカでは、一八〇〇年代に入り民主主義の国家としての形式を整えるために、トーマス・ジェファーソンの時代に民主主義の古典的概念に基づき、「普遍的な平等に基づく社会では、建築は威圧的だったり燦然と輝いたりしてはならず、簡素で分かりやすくなければならな(注二十)かった」とされ、国会議事堂をはじめモニュメンタルな要素をもった建築がアメリカで要求されたようである。
つまり、ワシントンDCに訪れるとわかるのであるが、この新古典様式が適用された施設はなにも博物館だけではない。DC内の観光名所を巡れば、国会議事堂をはじめ、ホワイトハウスやリンカーン記念塔、トーマス・ジェファーソン記念館といった建物もすべて柱とドームをあしらった新古典様式で溢れているのである。これら新古典様式の建物は、現在博物館建築のイメージの元となっているようで、博物館を示すマークでは上野に設置してある公園の案内地図等で見ることが出来る。
権威の象徴から作品へ
この大きなドームに柱、そして見上げても中を見ることは叶わない大階段は、はじめ民主主義を象徴した建物として適用されたにもかかわらず、現代では博物館の権威性の現れとして解釈されることが多い。巨大で入るためには大きな階段を上らなければ中の展示を見ることが叶わないこの新古典主義の建物は、博物館の建物としてのイメージを良くも悪くも「特別な」場所と意識させる作用を持ってしまっているといえるかもしれない。しかし階段に関して言えば、初期の段階からまったくなくしてしまっている博物館も見受(注二一)けられる。また階段に関して先に述べてしまえば、時代の変化とともに、バリアフリー等の考え方が広まり始めると、建物の前に階段を配置するのは余程の立地条件意外にはすべて廃止されてきているといってもいいだろう。階段を一つの権威的な現れであるとするならば、確実に博物館は階段という段差を無くすことで、自らの権威性を弱める方針を打ち出していると見ることが出来るのではないだろうか。
この階段は、つづく近代建築の幕開けからすでに否定されていたのかもしれない。建築事態のターニングポイントでもあるニューヨークのグッゲンハイム美術館は、そのまるで彫刻作品の如き「外観のフォルムが建物内部の機構を主体に構成(注二二)され」ている特殊な空間となった。実際展示を見てみれば分かるのであるが、この美術館は中がスロープで上まで上る(または降りる)ようになっており、壁にかけてある絵画等の作品を見ながら移動すると腰が痛くなるという、非常に見る者にとってはありがたくない空間構成になっている。しかし、このグッゲンハイム美術館から近代建築は花開き、そしてまた博物館がより建築家の作品と化していくという、博物館建築にとっても非常に興味深いターニングポイントとなるのである。
そして時代の流れを現代にまで先にたどってしまうならば、この作品と化した博物館建築は、国のモニュメンタル性を徐々に失い、次第に建築家自身のモニュメントとして作品化していくようである。要するに、博物館建築がその内容とは別に、建築という要素から評価される対象と化していくのである。建物が博物館の展示資料と競ってしまうようになると、博物館への評価もまた分断されてきているようである。博物館にとってその魅力の発揮するところはその展示であり、どのような社会的物語がそこで語られているかが問われなければならないのが、次第に建築の評価と内容が分断されるのと同時に、建築的な評価が先走ってしまい、本末転倒のような状況すら起こりうるようになってきた。これは日本の博物館では特にその傾向が強いようであるが、この問題はまた日本の博物館で言及していきたい。
アメリカ博物館の建物を見ていくと、大まかに四つの時期に別れるようである。初期の赤レンガのような建築からすぐに古典主義様式に移行した博物館建築は、その後二十世紀に入りグッゲンハイム美術館という近代建築へのターニングポイントという重要な建築を含むようになり、次第に作品化した博物館建築は、その後ガラスと言う建築素材を積極的に利用するようになる。
透明性とガラス
年表において建物の正面を大きくガラス張りにしたのはスミソニアン博物館群のひとつである、国立航空宇宙(注二三)博物館である。この博物館は、月面着陸したアポロ十一号や月の石、また人類初の飛行を成功させたライト兄弟ののったフライヤー号など、本物の飛行機やロケットなどが所狭しと展示されており、日本の観光ツアーでも必ずツアーコースに組み込まれている博物館である。この博物館が開館したのは一九七六年であるが、この時期は正に冷戦の時期と重なり、博物館に近づくにつれて大きく見えるエントランス内の展示は、来館者を引き寄せるのと同時に、明らかに国力のアピール以外の何者でもないのではないかとうがった見方は否定できないだろう。しかし、ここから、少なくとも入口内をガラス張りにし、博物館内の様子を外からでもうかがうことが出来るような建築デザインが増えてきたのではないかと感じるのである。
特に、二〇〇〇年当時、同年の一月に開館したと言う最新のアメリカ自然史博物館ローズ宇宙(注二四)センターは、見てのとおり全体これガラス張りであり、中の宇宙空間に模した展示空間が突然出現したかのような奇抜さである。実際、博物館に足を踏み入れればインフォメーションを抜けるとそこは巨大なガラス張りの空間であり、国立航空宇宙博物館が下から見上げるだけなのに対して(2階から見下ろすことは出来るが)このローズセンターでは立方体の中にある球体の中がビッグバンを最新の機器で見ると言う展示空間なのである。
これまで博物館の展示といえば、壁を中心に、立体物でもその周囲を人が見て回ると言う形式が中心であり、また設計上の限界であった。しかしこのローズセンターに限って言えば、来館者自身が空中を歩くかのように、ガラス張りの三次元空間の中に入り込む形で、周囲に浮いている太陽系の惑星の中を歩けるような見せ方に成っている。
博物館建築に取り入れられたガラスと言う素材は、少なくともこれまでタブーとされてきた展示室に対する太陽光の影響という、展示資料の保存と言う点に関しては問題を残しつつも、入口という空間に対しては積極的に取り入れつつあるように見受けられる。もちろんすべての博物館がガラスを採用していると言っているわけではない。しかし、これまで「暗い」と言われてきた博物館のイメージは、アメリカの博物館では当てはまらないように感じられた。入口だけでなく、展示室についても真っ暗といった従来の展示に対して注意されている明るさは、アメリカの博物館ではより積極的に天井などから太陽光を取り入れるなど、明るさには注意を払っているように思う。その分、明るさは演出としてその重要性にのみ選択が可能になっているように思われた。
博物館の合図
アメリカのファサードを年代別にその外観の変化とともに見てみると、全体的に博物館の建物としての特徴がいくつか見えてくる。グッゲンハイム美術館を境に、博物館の建築の流れは明らかに変ってきている。しかし、一見して言えることは、博物館建築と呼ばれるものが一つの典型パターンに押し込めることは出来ないにしても、イメージとしてあるのではないかということである。前半は新古典主義と呼ばれる、ドームに三角破風、大きな柱があしらわれた外観に時には大階段があしらわれた、神殿型博物館である。そしてグッゲンハイムからはじまる博物館建築の作品化は、建築家自身のモニュメンタル性が高まるに連れ、より博物館以外のものには例えたり見えたりしにくいという消極的な博物館性が出てきるのではないかと思う。
博物館かどうかは分からないが、しかしかといって一体何の建物であるかもわからないと言う建物もある。例えばボストン郊外にあるJFKライブラリー&ミュー(注二五)ジアムは、関西国際空港や、ワシントンDCのモールの一角にあるナショナル・ギャラリー新館をも設計した、イオ・ミン・ペイの作品であるが、一見すると一体何の建物かは分からないだろう。もちろん来館者はここがJFKライブラリーであり、またミュージアムであると事前にわかって来ているのだろうし、周囲には他に目立った施設もないので博物館であると知って来るのである。しかし、この「知っている」というのは事前情報を得て来館者が来ることを前提としているため、まったく知らない人にとっては非常に不親切な建物と言うことにもなる。
そこでアメリカで気付いた博物館の特徴の一つに(注二六)バナーという旗をあげることが出来るのではないかと思う。新古典主義様式なら柱の間に、また近代建築なら壁やガラスにバナーは大きく掲げられている。主にその時期に開催されている企画展示のバナーであることはもちろん当然であるが、その他に、その博物館の目玉としている展示やその他の企画を大々的に遠目から見てもわかるような大きさで建物の外観を飾っている。権威的と呼ばれる新古典主義の神殿博物館も、作品化した無表情な外観もバナーによって博物館たるアピールをしているとも取れるのである。つまり、博物館建築と呼ばれるものは、実際のところその外観ではなく、その機能によって定義付けられているものであり、博物館の基本機能である収集・保管・展示・そして調査研究のために儲けられた諸機能を有した建物を博物館建築と呼ぶのである。
アメリカ博物館のイメージ
では、博物館のイメージを作り上げる博物館の外観とはなんであるか。それは、アメリカの場合、時代の変化とともに博物館がアメリカ社会でどのようなポジションにあったかを図る指標にもなった。つまり、初期においては博物館は古代ギリシアの神殿を模した建築を擁し、特にこれは民主主義とともに博物館が誰のためにあるものかというアメリカにおける博物館の歴史そのものを表した物となっている。つまり、アメリカにおいて博物館は公共(パブリック)のものであり、民主主義の古典的概念に基づいたとされるギリシア神殿風の新古典主義的建築は、正に公共施設である博物館にもうってつけの建築デザインであった。しかし時代はこの概念を置き去りにし、次第に博物館は権威的な場所との認識がされるようになる。それは大階段によって勿体つけた展示の見せ方や、いかにも権威と結びつきやすい博物館展示の国威の象徴としての見方もあるだろう。しかし、時代は近代建築をアメリカから出発させ、個人的なデザインと公共施設としてのモニュメントが一致しだしたようにも感じられる。すなわち、建築家個人のモニュメントとしての博物館は、博物館という名の建物であるためにまた公共のものと言う認識が浸透しているように感じられた。
次に見る日本の博物館と比較することで明らかになると思うが、そのそもの博物館という施設に対する概念、そして認識の違いが、この博物館建築においても如実に現れているのではないかと疑問を出したところで、次の日本の博物館建築のファサードに入っていきたい。
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