第三節 博物館法
博物館法
ここで博物館の外観を見ていく前に、博物館の基本である博物館法について簡単にまとめてみたい。博物館に関する書物を読んでいくと「博物館とは何か」という問いを発するとき、まず注目されるのは博物館法である。しかしこの法律からでは実際の博物館がどういった存在として現実社会にあるのかを計ることは容易ではない。なぜなら博物館法が定めているのは、あくまで博物館とはどういったものであるべきかといった指標であり、基本事項を提示しているに過ぎないからである。もちろんこの法律によって実際に博物館はその役割を規定され、そして保障されているわけだが、現実には問題も多くはらんでいるようである。
博物館法とは日本において博物館をどのような方針にするべきかの指標ではあるが、それは今回の博物館の入口を注目する上で問いかけた博物館とは何か、という問いの答えにはなりえないように感じるのだが、まずは博物館法の引用に目を通していただきたい。
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この法律(注十一)において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(後略。傍線は引用者)
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ここで取り上げられる博物館の基本事項は、傍線を引いた四点の博物館機能論である。つまり、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学」等の諸分野を扱った機関であり、その活動方法は、博物館資料の@収集、A保管、B調査研究、そして「展示」以下の一般公衆の利用に供した必要な事業は現在C教育普及(展示を含む)と呼ばれ、博物館の機能はこの四点にまとめられているようである。
教育普及という言葉については最近使われることが多くなったようで、それ以前はもっぱら博物館における教育普及活動といえば展示をさした。しかし、時代の変化とともに、博物館の展示はそれだけでは機能しなくなっているのが現状である。これまでは博物館といえばその中心は展示であったが、いまではその他にさまざまなワークショップや各種体験講座など、その活動範囲は多様化していっている。展示室においてもただガラスに隔てれた展示を見るだけではもはや来館者のニーズに応えたとはいえなくなり、展示解説シートやカタログ等は展示と同じく欠かせない存在となっている。
また博物館法は博物館の基本的な役割を定めてはいるものの、博物館という一つ空間がどういったものであるかについては述べられていない。あくまで最低限度の博物館が博物館であるために必要な約束事を規定しているだけであり、例えば教育普及的な目的などは各々の博物館が持つ分野に則した目的があり、それぞれの自由裁量に任されているようである。しかし自由裁量といえば聞こえがいいが、実際の日本の博物館を見ていくとその自由裁量ははたして的確な目的を定め、そしてそれに実際的に活動をしているのかはまた別の問題であると思われる。もう一点、言及すべきポイントとしては、博物館とこの法律で呼ぶのは「機関」であり、ハコと言われる建物についてはまったく言及されていないことを記憶しておきたい。
博物館における法律上の四つの機能は、博物館が博物館であるために必要な条件である。では、この条件からはたして博物館の入口とは何かを導き出すための手がかりとしての、博物館とは何かに対する応えにつながっていくのかという視点から見ていくと、機能以外に言及されている部分に注目することで、別の手がかりを掴むことが出来そうである。
博物館は四点の機能を有している他に、「教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行」うための機関であると謳っている。教育的配慮とは来館者に対して何らかの成長を促すための配慮であり、また「一般公衆の利用に供する」という部分が特に博物館を見ていくに当たって非常に重要な何かが隠されていると指摘できるだろう。
博物館が語られるとき、これまでは特に強調されていたのは博物館の機能面についてであり、博物館がどのような存在として社会に対し責任や「教育的配慮」をどのように行って行くのかということはなかなか語られていないようである。実際、博物館は一体誰のためのものであるかというごく基本的なことにさえ、博物館を支える学芸員教育の現場で具体的に教えられているのかどうかすら懐疑的である。それは博物館が公共のものであるという言葉上の問題ではなく、各博物館人のなかにきちんと根付いているのかどうかといった問題とも関係している。
パブリックとしての博物館
公共施設としての博物館について疑問をはさむ人はいないかもしれない。しかし注意したいのはこの「公共」という言葉である。日本語にしてしまうとどこか政治的な意味合いすらもってしまうような言葉であるが、博物館が公共のものであるというのは逆説的にいえば、個人のものではないということになる。しかしここで私立の博物館があれば、それは個人的のコレクションということになり、博物館の公共性とは対立するかのようにも受け取られかねない。
日本において「公共」という言葉が政治的な意味合いをまとっているように感じるのは、公共事業や公共施設といった税金によって行われる公的事業政策のイメージが強いからだろう。しかしこの公的なものと博物館の公共性は似ているようでまったく違うものである。博物館の公共性とは、博物館が国立や県立など、国民県民の税金を使って作られた博物館が公共だといっているわけではないのである。ここで間違えてはならないのは、「公」訳されてしまったがために、本来のパブリックとしての博物館という概念が、日本語に訳されたと単に誤解を生んでしまったという事実かもしれない。
詳しい公共論についてはあまりにも複雑であり、簡単に手におえることではないためここでは単純化した論を展開しておくにとどめる。博物館の公共性とは、つまり公共に開かれた博物館とも言うのかもしれないが、日本語では非常にその定義が曖昧なまま一般に定着してしまったために、博物館の公共性が歪んで伝えられてしまっている。そもそも博物館は誰のためという問いがこの公共性と深く関わっているのであるが、一般公衆なら誰でも利用できるのが博物館の公共性である。
アメリカの博物館がその目的にあげる際、一番最初にあげるのが「OPEN
TO THE PUBLIC」という考え方である。これは博物館の特徴の一つが一般公開にあるとする考え方の基本であり、一般公開されていない博物館は博物館とは呼べない存在であるのである。これは近代博物館がヨーロッパで誕生した経緯と密接に係わり合いを持っているのである。それはまさに近代国家の民主主義の確立が博物館を誕生させ、また博物館の一般公開により、近代民主主義が形式上だけではなく欧米諸国に根ざしたことと同じでなのである。
一般に公開することが博物館の最大の特徴であると述べたが、それはコレクションそのものは古くから時代ごとにその権力者が己の権力の象徴として集められてきたという一つの事実から来るものである。今でも博物館は国力や文化レベルを測るものとしての役割を担っていることは否定できない。しかし、権力の象徴であった時代のコレクションは、権力者という個人のコレクション的な意味合いの方が強く、とても一般の公衆に与える教育的配慮が施されていたとは到底思えないのである。何度も言うが博物館方にもかかれているとおり悪物館のコレクションは一般公衆が自由に利用できる(ここでの利用とはまだ「見る」だけの意味合いが強いが)ことが条件なのである。よって自分の権力を指し示すためという目的を掲げた時点で、それは博物館とはいえないことになるのではないだろうか。
博物館の歴史については、世界史の知識だけではなく欧米諸国の近代化と民主主義ほか、広く理解するために必要な知識と経験が必要とされるため、今回の論文までにはとても歯が立たない内容であった。そこで今回は引用からその断片を拾い上げることで終わりにしたい。
日本と欧米の博物館の違いについてを、その博物館の歴史から見た場合次のような結論が導き出されている。
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現在(注十二)、私たちが言うところの日本の博物館・美術館というのは、明治以後、欧米から日本へ持ち込まれた考えを取り込み、あるいは近代国家日本としての体面を取り繕うためには、持たねばならない必需品であった。近代国家と呼ばれるようになるために、とりあえず、「博物館・美術館」を持つことが目標となる。出来上がった博物館・美術館がどういう目的の為にあるかのかとか、何をするのかなどは棚上げにしてしまい、とにかく、それを「作ること」それ自体が目標となったのだ。
一方、欧米での博物館・美術館、特に、公共施設としてのそれは、正に長い時間をかけて、社会の発展とともに誕生したものである。「公共=社会のすべての人」が自由に出入りできる施設としての美術館、例えばパリのルーブル美術館を考えた場合、あらゆる階層の市民が王室所有の絵画や彫刻を見る権利を獲得するためには、まず、人々は革命を起こし、国王夫妻をギロチンにかけなければならなかった。
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博物館における公共性は、博物館の歴史とともに博物館を考えていく上で重要な手がかりとなり、そして抑えなければならない基本であることは十分承知している。しかし調べれば調べるほど一筋縄ではいかないばかりか、日本と欧米での博物館に対する考え方の根本となるべき文化の違いなども、容易に理解することを拒む要因となった。そこで今回はこれらの国と文化、そして博物館の成立過程における違いについてを博物館の入口を見ていくとともに、己の目で見直してみるというところからはじめるべきであると考えた。
第二章では博物館の建物の外観をアメリカと日本の両国で比較しながら見ていくことで、少しでもこの公共性と歴史の違いについてを確認することができればと思い、実証することにして、博物館の歴史研究については今後の研究課題として位置付けておきたい。
| →第2章 第1節「ファサードから見る博物館イメージ」 |
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