卒業論文
要約


 博物館の「顔」は展示ではなく入口であるという主張からはじまるこの「しかけとしての博物館入口」論は、博物館にとって最も人に認知されやすい博物館活動の中心である展示ではなく、博物館体験の始まりであり、そして第一印象ともなる「入口」に注目し、はたしてこの博物館の入口とは「通過儀礼」装置と呼べるか否かについて問題提起したものである。
 入口における「通過儀礼」性を論じて行く際に三つの問題を扱うことで、論を展開して行く上での手がかりとした。第一に「博物館とは何か」という基本概念の見直しである。そして第二に「入口とはなにか」という問いを発することで、博物館における入口を見直すとともに、第三の「通過儀礼とはなにか」という問いかけによって、最終的に「はたして博物館入口は『通過儀礼』装置とよぶことができるのか」という大きな問いへと導く足がかりとした。
 第一章ではいくつかの博物館イメージにおける引用から「博物館とは何か」という問いに対し、日本ではマイナスイメージ、海外ではプラスのイメージが定着していることを突き止めた。そして日米における博物館イメージの元となった要因の一つとして、博物館の建物外観という視点を取り上げることで第二章における日米博物館比較へと論を進めることになる。
また第一章では、博物館法という博物館を規定する基礎概念を見直すことで、博物館のイメージを作り上げているのはその国における歴史や文化を背景とした、博物館の歴史そのものであるという結論が得られた。また「博物館とは何か」という問いに答える手がかりとして、特に博物館における「公共性」については、「開かれた」博物館というキーワードを元に、日米における博物館のあり方の違いが浮き彫りにされた。
 次に第二章では、博物館のイメージを作り上げた原因の一つとして博物館の建物の正面性を取り上げ、博物館の建物を映した写真資料をもとに、日米の博物館を比較しつつ見ていった。具体的には博物館外観資料を年代ごと、そして建物のデザインごとに並べることで両国の博物館イメージを比較することになった。
 その結果明らかになったのは、博物館イメージとそれを作り出す建物イメージとの関連性である。博物館のイメージ比較から、博物館とは文化を担う施設としての重要性が見えてきた。特にアメリカでは博物館は歴史が浅く、多文化多民族で成り立つアメリカ社会を支える文化そのものとして、重要な役割を担っていることが判明した。その一方で、日本の博物館はまだまだ文化としての博物館資料を入れる「ハコ」としての認識が払拭し切れておらず、文化を担う中心的存在となるまでには、これからの日本社会における地位の確立からはじめなければならないといった差を明らかにすることができた。
 つまり、更に踏み込んで言えば、アメリカの博物館は来館者にとって物語としての展示との対話を生む「教会的」空間としての博物館体験を提供する場であるのに対し、日本の博物館では建物はまさに「宝物庫」としてのハコであり、資料を保管する空間としての役割を浮き彫りにする結果となったのである。
 二番目に取り上げるべき問題として博物館における「入口とは何か」という問いに対して、博物館の入口空間におけるキーワードを三つあげ、そこから具体的な博物館の入口を見て行くことで、博物館にとっての入口とは何かについて第三章では検証して行った。
 「知の入口」「イメージと体験を結びつけるスペース」そして「メッセージ」を伝える場所としての入口の三点がキーワードとして挙げられた。その他、博物館の入口機能として「入場券売場(Ticketing)」「入り口(Entrance)」「案内所(Information)」「友の会事務所(Membership)」を挙げることで、博物館の入口空間を見て行く際の手がかりとした。
 第三章では博物館の入口とは博物館にとってなんであるかという問いかけから発展し、博物館の入口内部の特徴ある博物館事例を取り上げつつ、入口からみた博物館という視点から博物館とは何かを問い直す結果となった。そこで「博物館の入口とはなにか」という問いに対し、「さまざまなしかけを持ち、来館者に博物館体験のはじまりとして入口」はまさに「知の入口」になりえる重要な存在であるという結論に達した。
 また博物館の入口とは、来館者にとってははじめての博物館体験の冒頭部分を担い、決して立ち止まってじっくりと時間を過ごす場所ではなく、展示空間への通路としての機能をもった、博物館内部と外部をつなぐ中間領域としての役割をもった場所なのである。
 博物館に入るということは一体どういうことであるか。それは第一章から第三章までに扱ってきた「博物館とは何か」、そして「入口とは何か」からすでに答を導き出している。博物館の持つイメージから、博物館とは文化を背景にして作られ、文化そのものを示すハコであることが見えてきた。そして博物館の入口とはなにかという疑問に対し、文化である博物館が内包する展示空間への移行期であり準備段階でもある入口は、展示とは何かを問い直すことでまたその存在意義を明確にすることができたのである。展示とは何か、は翻って博物館とは何かにもつながり、文化としての博物館は「社会的物語」を語る展示によって、来館者自身の知的成長を促すきっかけをつくる場所としての役割を担っていることになるのである。
 はたして博物館の入口は「通過儀礼」装置と呼ぶことができるのか、というのが今回の論文における最大の問題であった。最後に第四章では「通過儀礼とはなにか」という問いかけに対し、ジュネップの定義から「通過儀礼」における三段階の変化移行を確認することで、博物館の入口にも「通過儀礼」を当てはめることが出来る可能性を見つけ出すことが出来たのである。
 ジュネップの定義では「ある(宇宙的または社会的)状態から他のものへ、ある世界から他の世界への通過に伴うあらゆる儀礼次第」を「通過儀礼」とし、この「通過の重要性を考えれば通過儀礼を一つの特定の範疇として取り上げる」ことができ、それらは「分離儀礼(Rites de separation)」、「移行儀礼(Rites de marge)」、「合体儀礼(Rites de d'agregation)」に分けることができるのである。そしてこれらの各通過儀礼はさらに図式化され、「理論的には前ミリネール期(preliminaire 分離)、リミネール期(liminaires 移行)、後リミネール期(postliminaire 合体)」の三段階に分けることができるのであった。
 このリミネール期である「移行」こそがまさに入口を指し示しているものであり、来館者はこの入口を通過することによって博物館と結合(後リミネール期)し、それまでの日常世界とは一旦切り離された(前ミリネール期)分離状況に置かれるわけである。そしてここからが博物館の入口がまた同時に出口であることを証明しているのでもあるが、博物館を出て日常世界へ戻って行くとき、まったく逆の流れで博物館空間と出口を通過することで来館者は来館者から通行人に変化を遂げ、博物館とは切り離されるのである。
 博物館に入るためには一般社会すなわち日常からの「分離」を経た後、入口の通過による「移行」が行われ、最後に博物館内部に「合体」するという、通過儀礼の図式に当てはまる行為であることは、これまでに論じてきたとおりである。
 しかし、最終的な結論として博物館の入口を「通過儀礼」そのものであるというのには、やはりまだ断言するには及ばないのではないかと判断する。だが、これを一つの装置として考えるのであるならば、博物館の入口はまさしく「通過儀礼」装置である。そしてもう一点付け加えるのであるならば、博物館とは文化であり、その入口に立つのであるならば、博物館入口とは、まさに文化の「通過儀礼」装置と呼ぶことができるだろう。
 博物館の入口とは、来館者が展示を体験すると言う目的を達成するために入る、博物館建物の内部空間(展示室)へとつづく準備空間であり、博物館の中と外を繋げ、来館者の博物館体験をよりスムーズに行うために設けられた「通過儀礼」装置をもつ中間領域(インターフェイス)なのである。


文章作成2002年7月23日
HP作成2003年1月6日 
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